2008年8月17日日曜日

万能の生物

 昔、”なぜ万能の生物がいないのだろうか”と、考えていた。生き物は死にたくない。死なないための方法や技術をいろいろな生き物が持っている。たとえば、人の頭脳と、ヒョウのすばしこさと、クモの糸、サソリやふぐの毒、亀の甲羅、カメレオンの擬態、、。生き物の設計図には様々な優れた部品が登録されていて、万能な生き物など容易にできると思う。死なないための方策いくらでもある。しかし、そんな生き物はいない。俗な言い方をすれば全ての生き物はどこか抜けている。最強の組み合わせを避けているように見える。

 やがてその理由が説けた。もしもそう言った最強の生き物が現れたとする。最強の生物は敵がいないからその繁殖を妨げる物はいない。その生き物は瞬く間に増えすぎてやがて、食料を失うだろう。地球という器もそこで産み出される糧も無限ではないのだ。結果、その生き物は自ら死滅するだろう。つまり、簡単な理屈なのだ、直線的では終わりになる。長い世代を存続しようと思えば、円、循環に組み込まれなければならない。増えたり減ったり、笑ったり泣いたりを同じくらいにしなければならないのだ。

 ”生き物は死にたくない”という前提が誤っているのだ。生き物は生き物を糧にしなければ生きていけないから、死ぬことを拒否できない。循環連鎖の中で、誰かが死ぬことを拒否すれば、彼らは連鎖からはじき出される。未来に生きることはできない。糧を得ることと糧になることは同意なのだ。そして、生き物全体を一つの系(システム)とすれば、たとえばガイア理論のようなものならば、全ての生き物が新陳代謝の対象となる。産まれて、貯えて、託して、消えていく。ガイアの循環の一部であることを拒否できない。
 DNAはおそらくどんな形でもかまわないから未来へその形を残したいのだろう。あらゆる可能性を追求し、あらゆる形を残し、不慮の事態に備えている。どのDNAを次が残ってもかまわない、残りさえすれば。
 種としての生き物は死を拒否していないのだ。例えば、示された死のルールに沿って時を過ごしている。大きな生き物の1つのセルとして。

 生きていく中で、必要で大切な物には快感が伴う。セックスや誕生、食欲や支配欲のように。死はとても大切な必須の出来事だ。まな板の上の鯛は、快感に打ち震えて死んで行くに違いないと、考えている。

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