2008年10月1日水曜日

ワタシ ノ シクミ の1

私の特徴は、と言うと”こだわりのないこと”だとおもうのです。すべてのことが、”それがどーしたの?”と、言えてしまう。そこがちょっと緩んでいる部分だと思うのです。だから、回りは心配したり、イライラしたり、嘆いたりしますが、本人はそうは思っていない。本人がそう思っていないのに、回りがそう思うのは変だ、と思いませんか?"あんたのために言うんだけど”といったときの、”あんたのため”までは、解る。つづく、”~~~だと思うんだよ”の部分は、言っている人が思うんであって、言われている私の想った部分ではない。その辺りのギャップを感じつつ、時間の波を数えているのです。

”あれがほしい。これがしたい、あれがゆるせない、ここはゆずれない。” さまざまな動機で生き物は行動をする。それが、紛れもない事実だったり、正義だったり、使命だったりするけど、それは単に幻想にしか私には見えない。落ち着いて考えるとそうでなくては成らない理由や目的は、どこにもないし、許せなかったり、譲れなかったり、欲しい、好きだ、離したくない、は一人一人、一つ一つの脳の中でのことにちがいない。全てが個人的な一つの脳の中で完結する物語なのだ。つまりそれを”価値観”と言うが、だから価値観に根拠など無いのだ。誰もが勝手な価値観を持ち、その結果、抱きしめ合い、罵り合い、笑い合い、殴り合うのだ。寸分違わぬ同じ構造の、同じ種の、同じ時代の隣り合った席でも、価値観は自由奔放だ。誰もが勝手な根拠と理由を持っている。全ての人にとってそれが唯一正しい。

特に、あれが欲しい、手に入れたい、と言う欲望には、果てがないわけで、苦労して手に入れるとそれは満足の一言で消え、さて、"はい次の人、どうぞ”というごとく、次々と欲しくなり、イライラいするわけです。ある人には生き甲斐で、ある人にはとても疲れることなのです。

でも、やらなくちゃとか、悲しませたくないとか、逃げたくない、と言う気持ちには逆らえない。欠損していない部分では、それなりの欲仁対して、満足を求めているのです。

0 件のコメント: