2008年10月2日木曜日

井上陽水のたのしみ

井上陽水の楽しみは、なんと言ってもその言葉だ。言葉のおもしろさとはそう言う物なんだなあと思う。リズムやメロディに沿って流れる、言葉の一つ一つの関わりが、巧みに絡み合う。それが、他のアーティストとは異なる彼の舞台だろう。意味があろうと無かろうと、何よりも言葉の意味と音とを踊らせる。言葉の持つ表の意味と裏の意味、読み方に誘われる同音異義語にも感心するのである。

音楽、ミュージック、歌、歌謡、ほとんどのテーマは、愛であり、異性であり、直接的にも間接的にも、比喩的にも、心からわき出る気持ちを何とか相手に伝えようとする手段でもある。訴える、叫ぶ、つぶやき、読みあげる、言葉で表せないその気持ちを、リズムやメロディに乗せて、すこしでもこの気持ちを付加したい。それでも伝えきれないもどかしさやイライラも、音楽の持つ魅力である。それはそれで打つ物はあるが、別の象限で陽水の唄は、言葉遊びに似た楽しみ方を教えてくれる。

時に古語の持つ穏やかな不思議な感触を風にのせ、また時には意味のない韻の連なりがパーカッションのごとく、軽い乗りを教えてくれる。和歌や短歌は詳しくないが、伝達手段が限られた頃の言葉の遊びは、このくらいに楽しかったんじゃないかと思わせる。歌を詠みあい交わし合う時、もちろん愛の言葉の交換がほとんどだったに違いないが、言葉遊びで相手を感嘆させる競い合いもあったのだろう。どこでもいつでも、遊び心は粋とされる物なのだ。

落語では船の旅などの暇つぶしに言葉遊びが語られる。”色と掛けて、桜の散った後と説く、こころは次に葉が続きます”。甚句、掛け詞、しゃれ言葉。意味と音が絡まり合って織りなす綾を、耳から入れて、頭でひねって、切り返して、解きほぐしていく。リズムとメロディが受け皿のようにそれを運ぶ。そう言った聴き方が独特で楽しい。

思いの外は生きること、思いのままは暮らすこと

時々はデパートで孤独な人のふりをして、満ち足りた人々の思いあがりを眺めてる

おそらく、その国で育った人にしか判らない楽しみ方だろうと思うし、世界中の人がそれぞれに、こういった自分たちだけの文化の遊びを持っていると思う。嬉しくもあり、悔しくもあり。

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