2008年11月9日日曜日

ワタシノシクミ 浮浪者?

私は今、ぼーっとしながら、生活ができている。なんとかちっちゃな仕事をもらってやっている。これで、仕事がなかったら、ホームレスだなあと思う。ホームレスには、意外としっくりと移行できそうな気がする。というか、才能がある?

他人の目が気にならない。他人の評価が気にならない。噂も悪口も誤解もどーでもいい。他人の評価などいい加減なのだ。

”あのときかなり怒ってたでしょう?”と、時々言われる。そんなに機嫌の悪いことはないのだ。”イヤな雰囲気でしたね、”それもちがう。つまり私は空気が読めないのだ、だから、読まない。何も感じていない。しかし、他人は勝手にこちらの気持ちを思い計ってくれる。”あなたの気持ちよーく判ります。” と言う奴も多い。そんなことはないのだ。判るはずがない。わかっているなら、そんなことを聞くな。そんな台詞は不要なのだ。その言葉から、私はあなたの気持ちをやっと悟る。

つまり、その時の一人の私を見て、多くの人がそれぞれ私の気持ちを察してくれるのだ。そしてその評価はバラバラなのだ。ある人はご機嫌だったといい、ある人は怒っていたという。ある人は苦痛そうだと言い、またある人はのんきそうでしたねと言う。私は想う、”あなた色の私です。” あんたの中の私に、とてもつきあっていられない。そんなヒマ人ではない。あげくのはて、”そんな人だとは思わなかった。”、”あなた、変わったね”、”意外な一面を見たわ。” 、ちょっと待った!ます。あんたの言う私を説明してもらわないと、話が返せない。だれかれの前で、あれこれ演じ分けるのは大変なのだ。

だから結局、”お好きなように、どうぞ。”となる。これは懸命なことだと自画自賛するのだが、いかがだろうか。

あなたが怒っているあなたは、私ではないし、あなたが苦痛に思う私は、私ではない。あなたの嫌う私を、私は大好きなのだ。まあ、困った自分だと思うことは、まま、多いけど。

だから、なぜそんなあやふやな他人の評価に、誰もが振り回されるのだろう。そんなことで、なぜ争いになるのだろう。つまり、人は争いが好きなのだ。相手をやっつけることが好きなのだ。いちゃもんを付ける習性があるのだ。生き物とはそうぢたものだ、と結論付けても間違ってはいないと思う。だから私は異端で、貴重なDNAで、やがて消えゆく運命の生命体なのだ。大切にしよう。

1 件のコメント:

Dr.kuma さんのコメント...

オノコは皆、魂の片隅に置き火のように沸々と小さく炎を持っている。魂のボヘミアンをおもいだした時。大抵は恋人や肉親,柵に群がる知人の顔がその火に灰をかぶせています。秋の暗い小さな闇で譜とその赤い火に息をふきたくなります。萌え出たら・・・・公園や山中でビニールをはれるようになるでしょう。