2009年7月11日土曜日

絶望する脳の仕組み。

人を絶望させ、鬱に追い込み、誰かを攻撃し、自らを破滅させる。その仕組みは全て脳にある。または、遺伝子に組み込まれている。

様々なストレスや、外部刺激が人々を襲う。あちこちに気を取られて、どれも無視することが出来ない。イライラし、困惑し、嘆き、あれこれと攻撃手段を考える。そのような仕組みが、ヒトの構造に組み込まれている。

ストレスや困惑を無視することは、手順からすると簡単だ。われわれは何かに夢中になっているときに、それ以外のことは聞こえないし、気にならない。大事な人が病気や怪我をしたとき、つまらない中傷や勝手な言い分は問題とならないだろう。会社での責任問題や、やり残した仕事、苦情の多くも立場が変わればどうでも良くなる。ちょっとした気分の切り替えで、重大問題は容易に、どうでもいいことに変わる。それは、脳の中のちょっとした仕組み思い込みだけのことなのだ。

自分を追い込むのは自分だ。責めるのも、悩ませるのも、攻撃に走らし、誰かを殺めるのも、全て自分の中の脳が命ずる出来事だ。誰もあなたに鬱や困惑を命令し、その通りに行わせることは出来ない。そして、なんの意図もない小さな一言が、あなたの狂気を掘り起こす。誰がどういった意図や理由でそれを起こしたか、というのは何ら問題を含まず、それをどう受け取るか、そこからどう言った狂気を組み建てるかは、あなたの中での出来事なのだ。

 

生き物は本当に自己防衛本能を持っているのだろうか。自分を大事にし、自分の命を大切に守ろうとするのだろうか?もしそのチカラがあるのなら、つまらない中傷や命令、悩みや妄想を断ち切ればいい。不要なことは聴かなければいいし、つまらない物は見なければいい。そのコントロールを脳は可能である。なのに、である。

脳疾患の症状の1つに、不安とイライラを一切なくしてしまう病がある。未来の不安が一切無く、備えも貯えも思わない。誰もが友好的で、自分の友達。だれからの悪意も感じない。”事故の前よりずっと幸せです。不安が全然無いんですもの”と彼女は言う。生き物が自らを守り仲良くやっていく意図があれば、その仕組みはすでに準備されている。しかし、実際はそうではない。ヒトは疑心暗鬼で、誰もが自分を狙っていて、出し抜こうとしている、と思う。油断大敵、足下をすくわれないかと恐々としている。脳はそれをさらに大きくかき立てる。気をつけろ、気をつけろ、狙われている、、。

そうした脳の仕組みは全く好戦的だ。さらに敗北感は自らの命を容易に脅かす。命の継続に危険な、困惑、鬱、イライラ、絶望を接ぐ次と沸き立てる。自分に対して、“死ね”と叫ぶのは、だれでもない、自分の脳なのだ。その仕組みは当たり前のように健全に機能している。”正常な”人々の誰の中にもある。そしてそれをやっかいとか不審に思わない。自分を殺める危険な物を自分の中に持っている。

生き物はいつでも自分を殺す、というか、死を避けない。死を回避しない、というルールがあるように思う。永久の命はエコロジーの崩壊だし、糧は限られていて、それは命以外にあり得ない。だから集団の中で、処分される機構が必要なのだ、と考えるとこれは理にかなっている。集団こそ優先であり、集団を脅かす個体は抹殺されるべきで、そう言った仕組みが用意されている事は理にかなっている。

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