2009年8月6日木曜日

なぜ脳は、自分を攻撃するのか?

世界がイヤになり、絶望し、生きている望みがなくなる。すべてが敵になり、だれもが自分を非難し、蔑んで、ろくでなしと思っている。

そう思うのは誰のせいだろうか?別れ話をした恋人?イヤな上司?いじめっ子の先輩か、苦情ばかりの客。永遠に終わらない業務なのか、取り戻せない若さなのか。ちょっとまて。あなたに絶望を感じさせるのは、だれでもなく、あなた自身だと思わないか?"絶望"を語りかけているのは、紛れもないあなたの脳だ。思い当たる節はないだろうか。

あなたに恋人が居て、デートの日が迫っていればおそらく、どんな目にあっても絶望しないだろう。不治の病が誤診だと判ったら、客の苦情も上司のイジメも苦にならないだろう。

脳は、外界の情報を取捨選択している。聴くべき物、聴かない物、見える物、見たくない物。それらは何らかの基準で選択され、意識に伝えられる。雑踏のざわめきの中で、あなたは恋人の呼ぶ声を識別するだろうし、誰か他人のうわさ話の中で、恋人の名前が言われた途端、その声が聞こえるようになる。ネオンサインの渦の中で信号が見つけられるし、星空に星座を結ぶことも出来る。

もっと物理的には、単純な構造の目が、広い世界をぶれもなく、ズレもなく、全ての部分で焦点があった世界を見せてくれる。カメラや顕微鏡を覗けばそんなことがあり得ないことが判る。

何を聞き、何を見て、何を無視して、聞こえなくするかは、脳が決めている。通勤電車の中で全ての人の会話を聞いていることはなく、うるさくても読書の邪魔にはならない。

その脳が、あなたがイライラする話し、絶望する話題だけをなぜ意識に知らせるのだろう。ネットのつまらない書き込みは見なければいい。その書き込みは自分に関係ないんだと思えば、言葉は意味のない抽象画と同じだ。容易に無視して、楽しいことだけを意識に知らせれば、いつだって明るい希望を持ってあなたは人生を過ごせる。脳が自らの肉体を守りたい、と思っているとしたら、出来ることはある。絶望などは意識に上がらなくすればいい。イヤなことは他人事にすればいい。脳は勝手に希望的な物ばかりを意識に映せばいい。それは建設的で、人類の繁栄にもっと貢献することだろう。明るい未来は、気がつけばそこにある。

しかし、脳はそれを見せない。悪口はよく聞こえるし、自分の欠点はかなり大きい。どう見たって最悪にはほど遠いのに、絶望は容易に人を襲う。絶望は人の前途を絶ち、誰かを殺め、自らの命を奪う。それはよくあること。ふしぎとよくあること。

誰のせいでもなく、脳は自らを絶望に誘う。なぜだろう。本能の中で、自分が生き延びることは、優先順位ではない、ということだろうか。誰かのために犠牲になること、社会を成立させるためには、大切なことかも知れない。

争いも、逃避も、同じように自己を破滅させる。協調のストレスも、仲間はずれの寂しさも、自己を破滅させる。社会を営む生き物が社会をなすために仕組まれた、巧妙な理にかなった機能なのだろうか。

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