2011年1月4日火曜日

音楽のこと、、、3

音楽のことを、なぜ僕は関心を持ったのだろうか。それをあれこれ思い出してみた。そうそう、”ハロルドクローアンズ、失語の国のオペラ歌手を読んだからだ。その前に、オリバーサックスの、パーキンソン病の記事。言葉と音楽はどうやら似て非なるものらしい。脳機能障害の症状に”失語症”というものがある。脳溢血、脳梗塞などで脳神経の一部がやられる。言葉やその理解、複雑な運動は脳の表面、大脳皮質に配置されている。ここの神経が壊れる。機能しなくなる。”失語症”はその症状である。その書状ははいろいろな段階がある。音の解析、言葉の抽出、語彙の理解、文の組み立て、字の認識、応答の組み立て、その発声のこと。障害部位によって、理解の障害、発声障害、意味不明な発話、などやそれらの複合の症状があらわれる。パーキンソン病でも痴呆の症状で発話障害、言葉に理解に障害があらわれる。

しかし、音楽は別だ。失語症患者でも歌はべつえ歌うというおどろき。ハロルドクローアンズの書籍ではそれを知らなかった著者が驚きを記している。発声の運動を司る神経が機能していないにもかかわらず(診断の結果)歌を歌う。言葉とは別系統の声帯への経路がある。患者が自らは歌い出せない歌を、誰かが歌い始めるとそこにつれて歌い始める。パーキンソン病でも同じ。自らは歌ったり言葉を発したりは出来ないが、誰かに吊られて歌い始めると、そのあと歌い続けることが出来るという。

その不思議を思い返すとは、我々が唄と歌詞、歌詞と言葉を同じ物と思い込んでいることにある。ヒトは勝手な根拠で意味も無く物事を決めつける。声や言葉が無くても音楽は楽しめる。唄うとと聞くとは別物だし、それはヒトに限らない。

音楽と言葉は別物なのだ。音楽は言葉よりはるか先にあった。言葉の前に音楽、音ではなくてメロディやリズムがあったという。言葉はそれに載っただけ。そう言われると、多くのことがすっきりとする。感情への訳のわからぬ不思議な揺さぶりが音楽にはある。理解が必要な言葉ではなく、聴くことがそのまま感情に及ぼすゆらぎを思うと、音楽は意識下の何かの仕組みにダイレクトに響いてくる。それはヒトの現れるはるか以前、ヒトの意識を持つ以前にどこの種が獲得したものなのだろうか?音楽に始めて浸るヒト以外の種。それ以降、多くの種がおそらく、音楽の楽しみを感じていることだろう。

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